Requia (1968/John Fahey)

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文字通り"鎮魂"をテーマにしたアルバムで、フィンガーピッキングのスタイルはそのままにサウンドコラージュ的要素もある。
ただ、そんな些末なことよりも、不可解としか言えないこの佇まいに惹かれる。
彼は右利きだったはずだが、このアートワークでは左利きに構えている。
鏡で反転した中の世界で鳴らされる、ドラッギーな「Requiem For Molly Part.1〜4」が素晴らしい。

The Pavilion Of Dreams (1978/Harold Budd)

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何かを考えるときは、形容詞や形容動詞を排除しなければならない。
たとえば、この音楽を仮に評するときに「美しい」という形容詞は避けねばならない。これはほとんど倫理の問題だ。
1972〜75年に作曲された4曲の室内楽が収録されていて、ハープ、ピアノ、サックス(Marion Brown!)、ヴィヴラフォンで構成されている。
霞がかったようなヴォーカルがニュー・ウェイヴ調でやや時代を感じさせもするが、バロック的な宗教歌にも聴こえる。
出自がアヴァンギャルド系の作曲家だが、このような音楽で精神の安定を保っていたに違いない。Brian Enoプロデュース。

Music For Astro Age (1992/ヤン富田)

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このデビュー作発表当時はすでに40歳だから、キャリアとして決して早くはない。いや遅いくらいだ。
この「遅れてきた音楽家」は、以降のリリースペースを見る限り、まるで音楽産業とは無縁に生きているように見える。
彼の自由さ、そして音の自在さは、贅沢そのものだが、この"贅沢さ"は現代の日本人には贅沢過ぎる。"2050年のAstro Age"用。

Khali (2007/Alejandro Franov)

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初期作品に残っていたタンゴ色は消え失せ、民族音楽然とした6作目。
驚かされるのは、ほとんどがFranov自身による多重録音であるということ。
ギター、ベース、シンセサイザーのほか、シタールカリンバ、アルパ(パラグアイのハープ)、ムビラ(ジンバブエの親指ピアノ)、
ドゥギ(インドのパーカッション)など、名前も知らない数々の楽器で、多国籍=無国籍な音を形成している。真夜中の音楽。

Rainbow Dome Musick (1979/Steve Hillage)

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元Gongのギタリストによるソロ6作目。
ディレイをかけたエレクトリック・ギターの心地良さに浸ることができる、徹頭徹尾ビートレスのインストゥルメンタル・アルバム。
ドイツといい、フランスといい、「非アメリカ圏」として傍流に追いやられた「西洋」がこの長大な曲の中で頑として屹立している。

Corona: Tokyo Realization (2006/Jim O'Rourke)

Morton Feldmanが考案し、後に"偶然性の音楽"や"不確定性の音楽"を生み出すきっかけとなった「図形譜」。
1962年に武満徹が作曲した「ピアニストのためのコロナ」を、ジム・オルークが再構築し、ミックスダウンまで手掛けた作品。
2ヴァージョン収録されており、同じ図形譜ながら、全く異なる解釈で演奏される。
プリペアド・ピアノのノイズが、低いドローンの合間を劈く。不安、緊張、覚醒。

【図形譜】
五線譜では表現しきれない新しい音楽を創造する手段として、あるいは既成の概念を打ち壊す作業の一環として現代音楽作曲家が競って図形譜による作曲を試みた。
ジョン・ケージなどによる偶然性が関与する「不確定性の音楽」あるいは、伝統的な西洋音楽の価値観を覆す偶然性を音楽に用いる手段ともされた。
図形や、文字、絵画なども使用され、ときには旧来の音符や五線譜も使われる。線が複雑に交錯したり、ときには時の経過も左から右と限ったわけでなく、あるいは天地左右もなく自由自在に書かれる。
このため、演奏家の解釈により2度と同じものにはならない場合が多く、即興性が高くなる。また楽器の使用も指定されないものもある。

Neroli (Thinking Music Part Ⅳ) (1993/Brian Eno)

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ピアノの残響音によるドローンのみで、Enoの中でも最も静謐な作品である。
あまりにも静かなので睡魔が襲うかと思えば、全くそうではない。
音が消えたあとの静寂を聴き、余韻に浸り、そして次の残響音を待つ覚醒の音楽。1曲58分。